このオリジナル画像は、U.S. Committee for Human Rights in North Korea(米北朝鮮人権 委員会)が制作した「The Hidden Gulag : Exposing North Korea's Prison Camps」というレポートに資料として添付されいる画像です。
「Morgan County Citizen」という地元紙が独自に行ったVantage Products社へのインタビュー取材の記事があります。 “御社の商品が陰謀論者たちの間ではFEMA棺桶と呼ばれ、様々な憶測を呼んでいますが、実際にはどうなのですか?”ということを訊ねています 【Conspiracy or simply storage?】 http://www.morgancountycitizen.com/?q=node/7524
1825年、フランクフルトにスタジオを構えたオッペンハイムは、彼の絵画の一つ『David Playing Before Saul』がヨーロッパで絶賛されたことを切っ掛けに、その後彼のスタジオを訪れる人が後を絶たなかったそうです。 1832年、Goethe(ゲーテ)、 Charles Frederick, Grand Duke of Saxe-Weimar-Eisenach(カール・フリードリヒ (ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公)) といった人達の推薦を受け、オッペンハイムは教授のタイトルを授かりました。
オッペンハイムは、フランクフルトのロスチャイルド家から肖像画の依頼を得る(受ける)ために早い時期から東奔西走していました。 1921年にはすでに、パリでジェームズ・ド・ロスチャイルドの肖像画の依頼を受け描いていました。 また、オッペンハイムがイタリアに滞在していた時には、ナポリで一族の銀行業を営んでいたカール・マイヤー・ロスチャイルドがオッペンハイムの宗教画を3作購入しました。 ロスチャイルドがオッペンハイムに依頼した作品『Susanna and the Elders』は、オッペンハイムの名声をさらに高めた一作と言えます。
この「The Rothschild Family at Prayer」と云う作品は、ロスチャイルド家の人々がユダヤ式のお祈りを捧げている光景をオッペンハイムが描いたものです。 ロスチャイルド家の人々が頭から被っている白い大きな布はTallit(あるいはTallith)と呼ばれるもので、ユダヤ教の礼拝の時に男性が着用するショールです。
Tallitを纏ったイスラエルの人々
当時、多くの画家がキリスト教を題材とした作品を描いていた中、オッペンハイムは頑ななまでに自分のバックグラウンドであるユダヤ人の生活や風習を描き続けていました。 この「The Rothschild Family at Prayer」は、そうしたユダヤの風習や伝統を大切にするオッペンハイムのスタイルを良く表した作品の一つと言えるでしょう。
この「後付け見出し」はさておき、肝心の記事と写真のオリジナルは、Scala Regia と云うサイトに掲載されたものです。(陰謀曝露系のサイトではありません) Scala Regiaの「Air de la Folie」という記事です。
今回ご紹介します同記事は、当時のハイ・ソサエティ(high-society)きってのparty girl(パーティー・ガール)であったBaroness Marie-Hélène de Rothschildの一番のパーティ仲間であったAlexis, Baron de Redéによって書かれた回顧録から抜粋されたものです。 当時の上流階級の人達の社交界の様子を伺うことが出来ます。
*今回の記事のオリジナルソースがあるサイト「Scala Regia」には、Marie-Hélène de RothschildやAlexis, Baron de Redéのパーティーに限らず、上流階級の人々の間で開かれていた様々な社交パーティーや中心的人物の紹介が掲載されています。該当記事を探すのに少しコツがいるのですが、意外な人物が意外な世界と繋がっているのが見えてくることもあるので、面白いです→http://scalaregia.blogspot.co.uk/
ワインの分野でも幅を利かせているロスチャイルド一族ですが、彼らの2009年のワインのラベルのデザイン制作担当者として白羽の矢が立てられたのが、アニッシュ・カプールでした。 Baroness Philippine de Rothschildによると、「私達のかねてからの友人で、優れた才能の持ち主であるカプールに2009年のヴィンテージ(ワイン)のラベル・デザインを依頼することは、一番ふさわしい人選であると言えます」、、なのだそうです。
こちらがカプールがデザインを担当したワインラベル
・・・・コネ、コネ、コネクション・・・・・・。
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【グローバル・エリートへの登竜門?? 悪名高きBullindon Club】
コネ、コネ、コネクションと言えば、世界のごくごく一部の特権階級の超・超・超おぼっちゃま達だけが「入会」を許されるBullingdon Club が思い出されます。
(1) the Hon. Edward Sebastian Grigg, the heir to Baron Altrincham of Tormarton and current chairman of Credit Suisse (UK)
(2) David Cameron
(3) Ralph Perry Robinson, a former child actor, designer, furniture-maker
(4) Ewen Fergusson, son of the British ambassador to France, Sir Ewen Fergusson and now at City law firm Herbert Smith
(5) Matthew Benson, the heir to the Earldom of Wemyss and March
(6) Sebastian James, the son of Lord Northbourne, a major landowner in Kent
(7) Jonathan Ford, the-then president of the club, a banker with Morgan Grenfell
(8) Boris Johnson, the-then president of the Oxford Union, now Lord Mayor of London
9) Harry Eastwood, the investment fund consultant
(1) George Osborne, now the Shadow Chancellor;
(2) writer Harry Mount, the heir to the Baronetcy of Wasing and Mr. Cameron’s cousin;
(3) Chris Coleridge, the descendant of Samuel Taylor Coleridge, the son of Lloyds’ chairman David Coleridge, the brother of Conde Nast managing director Nicholas Coleridge
(4) German aristocrat and managing consultant Baron Lupus von Maltzahn,
(5) the late Mark Petre, the heir to the Barony of Petre;
(6) Australian millionaire Peter Holmes a Cour;
(7) Nat Rothschild, the heir to the Barons Rothschilds and co-founder of a racy student paper with Harry Mount
(8) Jason Gissing, the chairman of Ocado supermarkets.
Bullingdon Clubのリーダーは「General」と呼ばれ、毎年恒例のpoint to pointレースではその優勝者にトロフィーを手渡すのがGeneralのお役目となっており、毎年レースの日の朝はBullingdon Clubののメンバーが集い「シャンパン朝食会」と称した朝食会が行われるのだそうです。
・・・今回は、そのようなアナウンサーの前フリから始まる、「あらゆる家電(機器)がインターネットに繋がる世界」をテーマに取り上げたRT(Russia Today)からの動画「Minority report: Era of total surveillance zooms-in on US?」(マイノリティー・レポート:完全監視の時代がアメリカに忍びよる?)とその動画の内容を要約した記事をご紹介したいと思います。
まず、世の中の大半の人達が「Joseph Kony」という人物の存在すら知らない現状から変えて行かなければダメだ、とRussellさんは人々への「啓蒙」に取り掛かります。 Joseph Konyがどういった人物であるかを知り、それまでの自分の無関心さにショックを受けた人々は、その「大事な話」を口づてに、または、SNSを通して、人から人へと伝えて行きました。 そうするうちに、最初はRussellさん一人で始めた運動であったのが、見る見る支持者が増えて行ったのです。