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冷戦時代にアメリカで行われていた放射線人体実験 part 1

「米政府や医師、科学者たちが、国民を、国民の同意無しに、放射線人体実験のモルモットにしていた」

今回ご紹介します記事は、今から10年前にNew Dawn誌に掲載された物で、冷戦時代にアメリカ政府がマンハッタン計画の一環として極秘に行っていた放射線人体実験について書かれてあるものです。

著者は、Alan R Cantwell Jr., M.D.  という元皮膚科医師で、近年ではエイズやガンについても研究されており、著書も数冊あるようです。 また、「HIVウィルスは人工のものである」と云うCantwellさんの主張は、陰謀論好きの間では有名かも知れません。


長い記事ですので、数回に分けて記事にしたいと思います。
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              THE HUMAN RADIATION EXPERIMENTS
       How scientists secretly used US citizens as guinea pigs
                    during the Cold War



第二次世界大戦後の冷戦時代、何千人ものアメリカ国民が、政府が秘密裏に行って来た4000件以上の放射線実験の犠牲者となってきました。 これらの実験を行ってきたのは、Atomic Energy Commission (AEC)(米原子力委員会)をはじめ、Department of Defense(米国防総省), Department of Health, Education and Welfare(米保険教育厚生省), Public Health Service (now the CDC)(公衆衛生局(現在の米疾病管理予防センター)), National Institutes of Health(米国立衛生研究所), Veterans Administration (VA)(退役軍人管理局), CIA, そして NASA などの機関です。

何百万という人々が、200回以上に及ぶ大気圏内核実験や地下核実験時の放射性降下物によって被曝し、さらに、何百回にもわたり私達の環境の中に放射性物質が秘かに放出され、多くの人々が放射線に晒されてきました。 特に、1950年代~1960年代にかけて、ネバダの核実験場近くで働いていた20万人以上の「被曝退役軍人」(被曝した米軍兵士たち)は、当時の放射性降下物の影響をもろに受けてしまいました。

また、ネバダ、ユタ、コロラド、ニューメキシコといったネバダ核実験場の近くの小さな町に住む何千人もの住民たち、いわゆる「風下住民」も放射性降下物の被害を受けました。 彼ら風下住民たち(動物たちも含め)は、環境、食物、への放射能汚染の害に見舞われたと同時に、最もひどい放射線累積効果に苦しまされました。
政府により被曝させられ、その後も被曝症状に苦しみ続けることとなる環境に置かれることとなってしまった人々の様子は、キャロル・ギャラガー著作のフォト・エッセイ「American Ground Zero: The Secret Nuclear War (The Free Press, 1993)」 に記録されています。

機密解除となったAEC(原子力委員会、現在はDepartment of Energy(米エネルギー省))の1950年代の記録文書を調べたキャロル・ギャラガーは、その文書の中でネバダ核実験場の風下住民について「利用価値の低い人口の居住地区」と記されたあったことに驚愕したそうです。 そうした冷酷な行為(風下住民に対する扱いと表現)にショックを受けたギャラガーは、彼女自身も米西部に移り住む事を決め、以来、核実験場の近くに生活する人々や実験場で働く人たち、また、軍の核実験により何度も放射線に晒された兵士たちについて調査・記録し続けています。


                  hre5.jpg



【ディスインフォメーションと死の灰(放射性降下物)】

核武装競争が進む中、政府の医師たちと科学者たちは放射性物質について「低線量なら問題はない」と公言し、大衆を洗脳して来ました。 ある当局などは、「少量の放射能は、健康にも良い」などと言って、人々を説得しようとしていました。 
そして、放射性降下物による実際の影響 ― ガンの発症率が高くなること、心臓病、神経障害、免疫系障害、生殖機能の異常、不妊、先天性異常、遺伝子突然変異、、といった情報に触れられることは、一切ありませんでした。 冷戦時代、アメリカ国民に対して行われて来た数々の放射線実験による被害の「実態」を完全に明らかにすることは、おそらく不可能でしょう。

医師たちも、放射線がいかに有害なものであるかを知りつつ、その事実を無視してきた、と1947年4月17日付のAECの機密文書には記されています。 “Medical Experiments in Humans”というタイトルが付けられた項目のメモランダムには : 「パブリック・オピニオンに悪影響を与える(当局にとって都合の悪い)ような、あるいは裁判沙汰になりかねないような「人体を使った実験」に関する資料は、公表しないことが望ましい」 と書かれています。 そのような分野に関する資料は、ことごとく「機密扱い」にするべきだ、とあります。

多くの風下住民たちの証言によると、放射性降下物の影響について公衆衛生局は「放射性降下物に対し不安になる“ノイローゼ”こそが、ガンになる最たる原因であり、特にその傾向は女性に見られるものである」 と説明してしたことが、ギャラガーの調査で分かりました。 髪が抜け落ちる、皮膚に現れる火傷の症状などの重度の放射線病を患う女性たちは、医師から「神経症」と診断されました。 また、別のケースでは、放射線病の女性たちは「主婦症候群」だと診断されていたといいます。

なぜ、風がユタ州の方角に吹き始めるまで核実験を待ったのか?ラスベガスやロサンジェルス方面への汚染を防ぐような対策を怠ったのか、と云うことについてギャラガーがAEC(原子力委員会。現DOEの前身)やDOE(エネルギー省)に問うたところ、当局は何も憚ることなく平然と次のような回答をしたそうです ;「ユタ州の住民たちは、放射線のことなど、気にも留めていませんから」。 
この発言は、実際に記録テープにも録音されています。


【隠されてきた放射線実験】

ごく最近になってようやく最高機密資料が公開されるようになったことにより、1944年~1974年の冷戦時代に行われてきた非倫理的かつ非人道的な放射線実験に関する実態が詳しく分かるようになってきました。 1993年11月、Albuquerque Tribuneが掲載した記事にて、この世で知られる最も有害な物質の一つであるプルトニウムの注射(実験)をかつて受けたと云う18人のアメリカ人たちの名前が公表されたことから、政府の極秘人体実験に関する話が一般に広がっていきました。 その記事に名前が掲載された被験者のうち、数人は致命的な病気を患い続けました。 
ジャーナリスト、アイリーン・ウェルサム(後に、ピューリッツァー賞を受賞)によって書かれたこのおぞましい内容の記事が口火となり、冷戦時代に行われた実験に関するすべての機密文書・資料の公開を、ヘイゼル・オリアリーエネルギー省長官に対し求める(抗議の)声が全国的にあがり始めました。

非常に危険な物質であるプルトニウムを使用した実験は、核爆弾の開発・実験に携わった実績のある科学者集団によって組織された政府の「マンハッタン計画」の支援のもとに行われました。 秘密裏に行われた数々の実験は、原子力産業で使用するためのプルトニウムやその他の放射性物質を生産する(扱う)ことを仕事とする労働者たちに適応される「労働基準」のようなものを設けることを目的としたものでした。

政府が機密扱いにしてきた「実験」には、以下のようなものがありました:

・1960年代、100人以上のアラスカの村民たちに放射性ヨウ素を照射

・1946年~1954年にかけて、49人の知的障害者や施設に収容されているティーンエイジャー達を対象に、放射性ヨウ素とカルシウムが混入されたシリアルが与えられた

・1940年代後半、約800人の妊婦に放射性ヨウ素を照射、胎児への影響を調べた

・7人の新生児(うち6人が黒人)に放射性ヨウ素を注射

・確実にガンを引き起こす量の放射線を、100人以上の囚人たちの睾丸に照射。この実験は1970年代前半あたりまで続けられた

・約200人のガン患者に高線量のセシウムとコバルトを照射。 AECは1974年にこの実験を止めている

・サンフランシスコの精神病患者とサンクウェンティンの囚人に放射性物質を投与

・1950年代~1960年代、ガン患者たちに対して大量の放射線を全身照射する実験がアメリカ シンシナティの総合病院、ヒューストンのBaylor College、 ニューヨークのMemorial Sloan-Kettering、 べセスダのUS Naval Hospital にて行われた。 この時得られたデータは、仮に軍が核攻撃に遭った際、隊員たちにはどのような影響があるのか? と云う事態を懸念する米軍の参考資料とされた

・リュウマチ性関節炎などを患う患者29人に対し、100~300radの放射線を全身照射。 実験の結果は、軍のデータに。 この実験はサンフランシスコのUniversity of California Hospital にて行われた


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ネバダ核実験場での核実験の様子(左) と 目を守るためのメガネを装着した以外は何も防護せず核実験を見せられた人達(右)



【The Atomic Energy Commission 原子力委員会】

1995年、米エネルギー省は1944年から1974年に亘り430件以上の放射線実験をAECが行ってきた事を認めました。 16000人を超える人々が、放射線が健康に及ぼす害についての説明も受けることもなく、同意もする事も無く、放射線に晒されました。

こうした実験は、原子力科学者たちが核戦争や放射性降下物が人体に及ぼす危険性を研究するための題材として行われて来ました。 当時は、核軍備増強に関する情報はすべて機密扱いされていたため、放射線人体実験も「機密」とされ、“国家安全保障”という名目のもと、実験は実施されてきたのです。

驚く事に、多くの放射線人体実験は、シカゴ大学、ワシントン大学、マサチューセッツ工科大学(「ラスムッセン報告」のノーマン・ラスムッセンもここの出身)、ヴェンダービルト大学、などの非常に「有名な」医学研究所や大学にて行われていたのです。 


【ウラニウム坑夫】

上述した放射線実験以外にも、1940年代~1960年代にかけて、アリゾナ、ユタ、コロラド、ニューメキシコのFour Corners(フォーコーナーズ)一帯にて、AECのためにウラニウムを採掘していた作業員たちも放射性物質を含む塵によって被曝していました。 換気も十分でない鉱山での作業は、確実に肺がんを発症して死に至るような、生命の危険にかかわるようなラドンガスが充満している事実を、AECの科学者たちは知りながら、その重要な情報が肝心の坑夫たち(全員ネイティブ・アメリカン)に伝えられることはありませんでした。 その結果、多くの坑夫が若くして肺ガンで亡くなりました。

当時のアリゾナ州知事兼弁護士であり、ケネディ政権とジョンソン政権時には内務長官も務めたことのあるスチュワート・ユーダルは、そうした坑夫とその家族を代表して、連邦政府に対し放射線障害の集団訴訟を起こしました。 その時の事について、ユーダルは自身の著書「The Myths of August」の中で次のように書いています : 原子力機関の無実を主張する医師の中には「様々な状況下にての被曝に関しては、当時はまだ充分な研究がなされておらず、健康への危険もあまり知られていなかった」と反論する者もいた。 また、他の者は、被害者たちからのインフォームド・コンセントすらも得ていなかったにも拘わらず「(坑夫たちの放射線障害からは)今後の医学的な研究・進歩にとり、とても有益なデータが得られた」と、あくまでも実験の正当性を通そうとした。 

医師たちの中には、AECの医師たちが行ってきた事は「ただ単に、戦後の時代の“一般的な倫理”に従ったに過ぎない」とし、その行為は許される範囲のものであったと反論する者もいました。
1983年、坑夫たちのケースがようやく裁判にかけられましたが、アリゾナの連邦裁判所は「アメリカ合衆国政府は、法的な訴訟に関しては免責が認められている」として、訴えは棄却されてしまいました。 

  hre9.jpg




(意訳を含む翻訳でした)
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以上、パート1 でした。 次回はパート2へと続きます。







2011年10月17日 | ニュース | トラックバック(0)件 |
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