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冷戦時代にアメリカで行われていた放射線人体実験 part 2

前記事からの続きです。


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(元記事はこちらです)


【冷戦時代の医療倫理】

彼らの様な「実験医師」たちは、「医師は患者を傷付けてはならない」というヒポクラテスの誓いを、なぜ平気で無視するような事ができるのでしょうか? 第二次世界大戦後のナチスの戦争犯罪裁判の結果を受けて作成されたニュルンベルク綱領(Nuremberg Code)に違反したのでしょうか?

ニュルンベルク綱領には、人体実験を試みるに際して医師が守らなければならない10項目の基本原則(ガイドライン)が示されています。 ナチスの戦争犯罪裁判以前は、ニュルンベルク綱領のようなガイドラインは医師たちの間には存在しませんでした ; 現にナチスの医師たちの弁護士たちも「かつての戦時中にも、イリノイ州立刑務所の囚人たちを「故意に」マラリアに感染させたことがあったように、人体実験は昔から行われて来たものである」と反論していました。

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           ニュルンベルク裁判 (1945年11月20日 - 1946年10月1日)


ニュルンベルク裁判が続くなか、AMA(American Medical Association 米国医師会)も独自の倫理基準を定めました。 その中には以下のような条項が含まれています : 1)人体実験の被験者からの同意は、必ず事前に得ること  2)各実験の危険性は、あらかじめ動物実験にて検証されること  3)実験は、適切な医療処置とマネージメント下のもとで行われなければならない

過去の記録を調査すると、政府による放射線実験の犠牲者たちの多くは、綱領で求められているような「同意」をしていなかったことが分かります。 1959年の時点でも、ハーバード大学医学部の研究者であるヘンリー・ビーチャーは綱領について「極端すぎて、現実の医療研究には不適切である」と述べています。 また別の医師は、綱領は主流となっている医療モラルに対しては、ほとんど影響を与えない(無意味である)とし、「病気を患っているような者に、本人の病状や難しい説明をしたところで、どこまで理解出来る能力があるか疑問であり、そのような者から「同意」を得ることに果たして意味はあるのか」と発言しています。

1961年にハーバード大学医学部で行われた論争「合衆国で実施されている研究にとって、綱領は必ずしも適切ではない、適応されるべきものではない」 について、ジェイ・カッズは1996年の米国医師会の会報にて振り返っています。 
カッズは会報に“医療研究者たちは、ニュルンベルク綱領の第一原則は厳し過ぎて、煩わしいものだと感じている”と書いています。 しかし、医療的な実験の実験台となる患者たちは、自分たちの病状が少しでも改善されることを願って実験に参加している訳です― 害を加えられるなどとは、夢にも思っていません! また、完全に医師を信用しきれないでいる患者もいます。

「The Nazi Doctors and the Nuremberg Code」の筆者であるカッズは、多くの医師たちはニュルンベルク綱領について“残虐な野蛮人に適応するには素晴らしい綱領であるが、普通の医師たちには不必要な綱領”であると考えていると述べています。



【大統領諮問委員会】

1994年の1月、クリントン元大統領は、人体実験疑惑に関する調査を始めるため、諮問委員会を召喚しました。 1995年10月3日に提出された最終報告の中には、1960年代前半まで、患者の同意無しに様々な「研究」(実験)が患者たちに施されていた事が判明したと書かれてありました。

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委員会が特に厳しく批判したのは、患者の病状にとって決して有効とは言えない実験を、患者の同意なく行っていたことです。 この中には、テネシー州のオークリッジ病院、ニューヨークのローチェスター大学、シカゴ大学、サンフランシスコのカリフォルニア大学で実施された「プルトニウム注射実験」の犠牲となった18人や、「ウラニウム注射実験」の実験台となった重病患者たち : ローチェスター大学にて6人、ボストンのマサチューセッツ総合病院にて11人 が含まれます。 プルトニウム注射やウラニウム注射を打たれた患者は、10年後20年後にガンを発症する確率を「あげられて」しまったのです。

The Final Report of the President’s Advisory Committee(委員会による最終報告)は、1996年にオックスフォード大学出版局(Oxford University Press)から出版されている「The Human Radiation Experiments」で読む事ができます。 委員会は、数々の実験については深く調べましたが、実験台となった人々に関する調査はなされませんでした。 多くのケースにおいて、患者の名前や記録はすでに廃棄されており、実際には一体何件の実験が行われたのか、それが何処で行われたのか、どの政府機関が関与していたのか、などを割り出すのは容易なことではありませんでした。 また、研究(実験)の支援機関の一つであった米国保健福祉省も、何十年も昔に実施されたような実験に関する資料・記録は、すでに処分済みでした。

調査を行った委員会は、ほとんどの実験に関して“国の、過去数十年分の歴史に関する資料・記録の大部分が失われた、または、行方不明になっている”、“最低限の記録しか残されていない” 事実が判明したと述べています。

また、エネルギー省は、同省の前身であったAEC(原子力委員会)時代の関連資料は1970年代に全て廃棄されたとしていますが、矛盾した事に、その中には1989年に行われた実験の物も含まれているのです。 
CIAに至っては、すべての記録が機密扱いになっています。 以前に、最高機密であったMKウルトラ(実験について何も知らされていない被験者に、その思考を操作するような薬を投与する などの実験)に関する記録の提示を求められた時も、CIAは、MKウルトラがスキャンダルになった1970年代に関連資料・記録はすべて廃棄処分にされたと説明していました。


 
【政府の秘密は守られる】

委員会は、「政府が、一部でも資料を保管していなかったら、今回の調査は進まなかったし、そうした資料がこうして一般に公開されることもなかった」と話しています。 しかし、連邦の文書管理法には、古くなった文書は定期的に廃棄処分にする規定も含まれています。 つまり、普通に文書管理を行っていれば、多くの関連文書や資料が失われていてもおかしくはない、ということです。

委員会は失望感を込めながら : “とはいえ、「廃棄処分の対象となった文書(機密文書も含む)」を記録した文書(=どの文書が廃棄されたか、を記録した文書)までも廃棄あるいは紛失してしまっている” と訴えました。 それら文書がどのような経緯で廃棄されたのか(実際に廃棄されたのか、単に紛失してしまったのか)を確かめるのも困難な状況なのです。

委員会によると、AECは、人体実験は行われていないと断言し、秘密の研究が行われている事実を作り話でもってごまかし、政府の指導のもとに行われた「生物学的研究」では、被験者たちにわざと曖昧な情報しか与えないで騙して来たように、何度も何度も人々を欺いて来た、といいます。 政府が“born secret”(初めから「機密扱い」と決められている)と定めた情報と云うのは、永久に「機密扱い」なのでしょう。

委員会は、以下のように結論をまとめています : “政府は、私達に関係する非常に重要な事柄を、私達から隠蔽するパワーを持っている”。 

貴重な参考資料となるそれら“失われた文書”無くして、歴史家や研究者たちは、どうやって政府の隠された悪行についての真実を暴く事が出来るのでしょう? 機密文書が規定に沿って処分されたり、紛失されたりしている中、“決定的な証拠”など、どこにあるというのでしょう? 私達は、嘘と隠蔽で塗り固められた冷戦時代に多くの人達が人体実験の犠牲となっていたと云うことは、分かってきました。 では今後果たして、現在でも機密扱いとなっている1974年以降から現在までの医療と科学に関する「秘密」を探り出し、暴く事は出来るのでしょうか?

医療記録も追跡調査の記録も残されていないため、自ら望んで、あるいは望まずに実験に“参加”した人々のその後を調べる術はありません。 委員会も、被験者たち一人一人の状況について、調べ上げるだけの時間も資料もありませんでした。 人体実験に関する情報と云うのは、本当にごく限られた断片がかろうじて残っているだけでした : 「実験」において、被験者たちの身体に、実際にはどれほどの害が加えられたかについて確かめる事は難しいでしょう。

           

           hre12.png
          ↑こちらは1954年の「キャッスル作戦」時の「プロジェクト4.1」の報告書


(意訳を含む翻訳でした)
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以上、part 2 でした。 次回は part 3 です。







2011年10月20日 | ニュース | トラックバック(0)件 |
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